くらた内科クリニック

横浜市 鶴見区 内科 循環器科 呼吸器科 アレルギー科 くらた内科クリニック

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ドクター本多のコラム

コラムNo.12

タイトル: 洋上救急の記(4) いざ、うねり狂う外洋へ

浦賀水道を通過してしまうと、もう窓の外は漆黒の世界が視界を覆った。
静かな声の船長が

「まだまだお仕事はずっと先の事になります。お食事を摂って、ゆっくりお部屋でお休みされていてください」
その穏やかな声に促されて(騙されて?笑)また狭い階段を船室まで降りていった。

食堂はすでに活況を終えており、ガラーンとしていた。僕はひとつ用意されていたトレイの前に座り、冷えた食事をすみやかに食べた。食卓は卓球台を5台くらいつなげたような広さであり、エンジン音だけがずんずんと鼓膜を揺らす。メニューは確かカレーのようなものだったが、お世辞にも美味いとは言えなかった。無論、このシチュエーションで美味しいディナーなど期待しないから、オペ前の「掻っこみ弁当」のような思いで平らげた。

僕は、子供のころから、なぜか船酔いだけはしなかった。バス酔いは常習犯で、小学校の遠足バスなどでは100%酔って吐いたが、どう違うのか?不思議だった。

余談だが、小学生のころ沼津港から「竜宮丸」という船に乗り、駿河湾に出て伊豆半島の西海岸の浜々に連れて行ってもらったものだ。それは船幅5メートル、全長30メートルほどの琉球風装飾を施したポンポン船で、当時の僕にとって無類の喜びのホリデーだった。

白波たつ駿河湾からは千本松原を手前に、背後には壮大な富士山が微笑んでいた。
僕はよく船首に立ち、足元の海から飛び上がる「飛び魚」たちの大群(何千匹)を見るのが好きだった。飛び魚たちは、海上の3~5メートル位の高さを永遠に飛ぶ。まるで船との伴走を楽しむように、軽く50~100メートルは飛んだだろうか、その何匹かは船の甲板に落ちた。その頃、船尾ではゲェゲェ吐いている子供たちがいたものだ。
吐いている子供たちを尻目に「僕は船酔いしない!」そう信じて育った。

ところが、「そいつ」は突然来た。ペンキ臭い部屋でひとりベッドにいたところ、脳の中で何かが斜めに回転しだした。そう、三半規管内のリンパ液が過剰に増えめちゃくちゃに回りだしたという感じだった。
やっと立って、洗面所で胃物を吐しゃした。おそらくプロの見立てだろう、そろそろきてる頃だろうと例の世話人さんがドアをノックした。吐いている僕を見ると背中をさすってくれた。

「すみません、船は得意なはずなんですが」

と、この後に及んで言い訳をする僕である。

「仕方ありませんよ、どんどん気圧が下がってきています。これから大きな低気圧に向かって航行しますから、どんどん波が高くなるんです。しばらくはこの状況ですからゆっくりお休みください。何かリンゴでも擦ってきましょうか?お腹減っちゃったでしょう?」

(やさしい!!)

僕は頭を下げながら手を挙げて、ノーサンキューのジェスチャーをした。それがやっとだった。
そういえば目的地を聞いてなかったことを思い出した。

「ど、どこまでゆくんですか?」

世話人さんは(あ、忘れていた!)という顔で、

「あ、キャプテンに聞かれませんでしたか?金華山沖の四百海里のあたりまで北上します。低気圧のど真ん中ですから海は荒れています。これだけの大船でもさすがに揺れますから...熟練の海の男たちも中には船酔いする者もおります、ご安心ください。」

(慰めてくれているのだ)

金華山は宮城県の南端?石巻の島らしい。四百海里というのは、東北地方の西から東までの列島の幅を、ふたつ並べて東に伸ばしたくらいの距離だそうだ。更に世話人さんは言った。

「今入っている情報では、現地にトルコ船籍の船内で事故があり、男性が三人骨折しているそうです。それからすぐその近海でもう一件、日本船籍の舟で腹痛患者が一人出ているとのことです。」

(え?それ、全部俺がなんとかするわけ?こんな船酔い医者が??)

「実は、現地は第二官区の領域なのですが、負傷者の多さと悪天候のため当管区に応援依頼があったのです。先生、ちょっと悪いくじ引いちゃいましたね。」

と、彼は少し笑った。

(そうか、第二管区と第三管区の合同作戦なわけだ。そんなすごい作戦にどうして、、こんな、、横浜のちっぽけな病院の整形外科医が?しかも、経験の半分は麻酔科だぜ...)

などと愚痴を言ってはいられない。
船の揺れはどんどん激しくなってきた。

「トイレは廊下の一番奥にあります。周囲には誰もいませんから、頑張ってください!!」

と、世話人さんは出ていった。
まだ午後8時頃であった。
嘔気、眩暈、脱力感はどんどん悪化し、鏡に映る自分は別人のように憔悴していた。
つ・づ・く